夏目友人帳 晴山バス停、河童の墓

みゅう

2013年04月14日 15:25

相良村 晴山バス停です。
第二期オープニングに出てくる通学路の風景ですね。
ニャンコ先生スタンプも置いてあります。




西村、北本、笹田が歩いている道



相良村の国道445号線です。雨宮神社から北上して五木方面に行く途中。
河童の墓よりもう少し五木よりになります。
バスで行けますが、一時間に一本程ですので気をつけてください。

雨宮神社から晴山バス停への途中。廻り観音の標識から橋を渡ります。
河童の墓



相良村の河童伝説が伝わる地です。よくテレビでも紹介されております。

河童が住む淵で馬を行水させていたところ、河童が馬を引きずり込もうとして尻尾を引っ張っていたそうです。ところが馬に陸に引き上げられてしまい、馬の持ち主に捕まり家の柱に括られてしいました。それを見た女中さんが可哀想にと、縄を解いてあげたところ、その日から、鮎などの魚が炊事場に届けられるようになったそうです。長い間続いていましたが、ある時からそれがふっつりと途絶えてしまいました。河童も年老いて死んでしまったのだろうと、供養のために墓を建立したそうです。

夏目友人帳では、妖怪が多々出てきます。人吉球磨には数々の妖怪にまつわる話があります。

河童にしても、八代に中国黄河から海を渡り九州の球磨川に移り住んだ河童がその数九千匹となり、
その族長は「九千坊」と名乗った。肥後城主・加藤清正は九州の猿軍団をもって攻めたてたところ、
河童は肥後から、久留米有馬公の許しを得て筑後川に住み、九千坊は以後水難除けの神・水天宮の使いとなったと伝えられる。“と伝承されています。  
九千坊が九千匹の河童を引き連れて渡来したという説もあるし、
また、中国三国志の時代、呉の難民が大挙して渡来したのではとの説もあります。
争う事が嫌いだった河童の一群は球磨川を登り球磨人吉へとやってきたのかもしれません。

熊襲と呼ばれていた民、渡来人達は朝廷にまつろわぬ人々となり、川辺の民(河童)と呼ばれ、虐げられた歴史がそこにあります。

いつもコメントを下さる方のニャンコ先生コレクションです。二部屋とクローゼットがニャンコ先生で埋まっているとか。
羨ましい限りです。秘蔵コレクションはビニール袋で反射して写りが悪かったようでUP出来ないのが残念です。





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